2013/02/11

「 しずわ(静輪)」

今回は仕事場の道具に入る前に、ちょっと楽しい文章に出会ったので、それを引用してみたい。この記事は山岳雑誌「岳人」に掲載(1971年12月号最後のページ「表紙の言葉」)されていた、辻まことの言である。
 
 「登山用具は昔からくらべると、驚異的に進歩したとおもう。冬の場合は、ことに使ってみるとありがたくなる場合が多い。
 アイゼン、ザイル、天幕、ストーブ、衣類など、どれをとってみても性能がよくて、明るくなってきた。そして毎年毎年新しい発明が少なからず顔を出す。
 ところでこの道具というやつは、やっぱり使いこなすまでには技術がいる。技術の習得には時間がいる。こんなことをいうと、道具やの方じゃ、いや技術の習得なんぞいらないように改良されているんだ・・・・といいそうだが、そうはいかない不安を登山者なら必ず持つものだ。新しい道具は人間と同じで、みかけただけではわからない。艱難辛苦をともにしてみて、つき合えるかつき合えないかわかってくるものだ。
 新しい道具に頼ってみて、いろいろうまくいったとする。なんだか金を払ったガイドのおかげで、山へのぼれたような気持ちになり、少しばかり自尊心が傷つけられた気分になることだってなきにしもあらずである。
 一体どこまで道具とつき合うべきか、これは人々の能力いかんで、千差万別にちがいないが、私なんぞはいつもこの点で迷ってきめかねることが多い。そして能力ぎりぎりのような山へ行くときにかぎって、本当は役に立ちそうな新しい道具を持っていかなかったりするのである。」
 (この「岳人」の連載はのちに『山の画文』白日社から出版された。そののち『山からの言葉』として平凡社からも出版された。)
 
 これはなにも登山用具に限ったことではあるまい。人間と道具との係わり合いかたである。まさにいい得て妙である。辻まことのいい回しは穏やかだけれど、言は鋭利な厚手の刃物のようだ。
 
 
さて、今回は「しずわ」これもどうして静輪という名前がついたのか・・・。昔、ここの仕事場にも八丁撚糸機があったときに、撚り糸のテンションを調整するのに使われたものだ。焼き物でできていて、脇に輪の重さの数字が書き付けてある。尺貫法で匁の単位である。
 
 
他の都合の良いものがないとはいえ、かつての職人はいろいろな物を作った。
 
いろいろな大きさのしずわ
 
 

いまは出番がないので、このような使われ方がされている。

糸道の案内
 
羽のおもしの役目

 
 
 
 
 
  





0 件のコメント:

コメントを投稿