2013/04/17

「わく 篗」


過日、地元紙に「山の日」を祝日に国会議員が超党派で唱え、民間山岳団体もかんでいると報道されていた。以前にも引用させていただいた辻まことです。山岳雑誌「岳人」1972年1月号「表紙の言葉」に掲載されていた。

 「混雑騒然たる街区を、自分もまた一個汚染の兇徒と化して夜を昼に変えて、やれクリスマスだ、やれ忘年会だのと続けたあとで、一夜を限りによそ行の顔つきで社殿にぬかずき、ポンポンと神妙な手を叩き、いまさら言うこともない相手にオメデトウなどと叫びかけ、さて一週間分もあろうかという新聞をひらき酒盃を片手に、また冬山の遭難か、世間の迷惑をかえりみぬ愚かな若者だの親不孝だのと、俗物と俗流ジャーナリズムなんてものは毎年することも薄手で、どっちが一体自覚が足りないのか判ったもんじゃない。
 そんな尻馬に乗って地元の山は手前の製造した美術品かなんかのつもりになって、条例をつくったり、登山者に階級をつけたりするヴェテランどもの横柄さは、未熟な登山者よりもよほど小癪だ。
  もうかるとおもってるうちは車も人もどんどん呼び込み、宣伝これつとめ、リフトだゴンドラだと先頭になって自然をいためつけといて、映画館なら満員御礼の札をだすときに、戦前のオマワリみたいな顔つきになって、山をけがすな、敬虔になれとは一体どの口からでるのだろうといいたいネ。」
 (この「岳人」の連載はのちに『山の画文』白日社から出版された。そののち『山からの言葉』として平凡社からも出版されている。)

  これは時代はいまから40年も前の言であるが、昨今暮れの騒ぎが落ち着いたくらいで、なんら変わることがない。「海の日」さえ趣旨はよくわかっていない自分だから、「山の日」といわれてもピンとこないのだ。そんなことは、人にいわれるまでのことではないのでは。
 話がすこし道具のわくを超えてしまったようだ。
道具は人間の負と効率の部分を補うという明確な目的をもって存在している。なかにはその許容範囲を超えてしまったものもあるだろうが・・・。さてもとに戻って今回の道具はワクなのだ。
 
 「わく 篗」とは、ある状態になっている糸を、ワクというものに巻きつけて一つの規格体にして、扱いやすくし次の仕事の出発点となる作業に登場する道具です。
 
使い勝手でワクにもいろいろある 動力で巻いたり、手動で巻いたり
この他にもタタミワク、ヌキワクとか糸取りに関するワク名もある
 
小さいものは高さ12cm、大きいのは21cm 写真に
はないがもっと大きなものは高さ28cmのワクもある
 

糸が巻かれたワク




〔おりもの修行中/ランラン日記〕
こうしなくちゃいけないとか、ああするべきとかに縛られて身体が動
かなくなるときがある。わくわくすることに心を躍らせて方法をあみ出
しながら突き進むくらいに、のびやかに身体を使えるようになりたい。







 

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