2013/06/05

「織り機」



 そろそろ「仕事場の道具たち」も終章に向かう時がきた。道具が尽きてきたので後2回ほどで終わりにしようと思っている。
 
 今回は機織機の話です。
機も基本的な要素は、どの様な機でも何も変わりない。その所々で織られるものが、織り易いように機も出来ている。素材でも絹・木綿・麻等、そして撚りのきつい織物・無撚りのもの、先練(糸を)りをして織るもの・後練りの布等を作る場合と、細かく言えば限がない。そのように、織る布に合わせて機を自由に直して使う、これも一興なのである。
 
 
高機と呼ばれるもの。このあたりの機が見本。
材はヒノキ、これは建具屋さんが作った。

上の写真の機をややアップで撮ったところ。筬柄にはバッタンを使って
いる。糸物を織るのには、緯糸の打ち込みが安定する。いわゆる打ち
込みむらが少ない。経糸が伸びきったままに成らぬ仕掛けはしてある。

織り前のバッタン、伸子がはずしてある(写真のため)。

これも高機、8枚のソウコウを仕掛けてある。柄はバッタン。

バッタンの杼箱

高機、けん先の部分。

バッタンの大小。広いものは75センチ幅ある。

高機、手越しの筬柄。緯糸が紬糸のときには、手越しの筬柄を使
う。緯糸の打ち込みが入りやすい、緯糸の引きが柔らか等のため。

手超しの筬柄部分
今からすると昔使われた筬柄、まだ使っておられる人もいるかな。


広幅織り機、厚手の布の長い物を織るときには
巻取りちきりの位置(構造)に一考があるが…。

広幅用筬柄


 
 
 
…と、この仕事場に ある機を見てもらった。古い昔の機は、ここの織物の布作りには適していない。昔、奄美の機が値段が手ごろだった事もあったのだが何台も入れてみた。材も作りも良かったのだが、やはり奄美の絣を織るのには適していたのだが、ここでは使いきれなかった。
 そのように自分の織物にあった機が一番なのだろう。 コンパクトで使いやすい機は伊勢崎の古澤さんの機は素敵だ。写真にはないが一台使っている。 以上の事は、あくまで我が仕事場の見解である。 
 



 
 
〔おりもの修行中/ランラン日記〕
いままでは少し窮屈でもあたえられた織機に自分の体を合わせることが使
こなすこととおもっていた。本格的な仕事場で学び始めて、織る布に合わ
せて大工道具によって織機が変化していくのをみた。これからは、最適の
状態を見きわめて整えられる力をすこしづつ身につけていきたいとおもう。







 






2013/05/28

「絣仕事の仲間たち」

 
 絣の仕事に使う道具を挙げてみた。 そういえばいわゆる込み入った絣仕事は、
小幅物では長くしていない気がする、別に理由はないのだが。 絣仕事に本来あ
まり道具は必要としなくても、十分に楽しめる。 しかし、高度な絵絣や細かな絣を
いじくるには、道具があった方が便利には違いない。ただそれが、直ぐに作品の良
し悪しには関係があるとは、言えないと思うのだが。 
 ここにある道具の仲間を紹介しよう。
 
 
 

緯絣を縛る道具、織物の幅に合わせて緯糸を仕掛ける。写真、下
は両サイドの棒に糸を巻き付けてゆき、染まらない所を縛ってゆく。
上にあるものは両サイドの棒が立っている部分が回転する、上手に
緯糸を巻けるようにセットできると案外に使いやすい道具だ。
 
これは絵絣とか、それに近い図柄を種糸としてつくる台。
上は小幅用、下にあるものは広幅用の絣台。

台の上に図案用紙を置き、両サイドの筬に種糸を仕掛け、その
糸に下の図柄を写してゆく。それが種糸だ。写し終わったら、そ
の糸を巻き取り、必要な量の緯糸をその糸に写された部分を括
ってゆく。それを染めると、同じものが必要分できるのであ
る。なかなか言葉で説明はむつかしい。実際に仕事をしている所
へ伺ってみよう。



上部絣台のサイド部分。織物の緯糸の打込み数に合わせて
種糸にする糸を張ってゆく。なかなか緻密な仕事だ。
 
これが台の両側に備え付ける筬。
  
絣を括るもの。左側より括るテープ・経糸に決まった印
をつける種棒・印つけのへら・ハサミ・麻の糸・墨滴など。
 
前の写真、左から2番目のもの。経絣で印をつけるとき表面
を軽くかまぼこ型にけずってある棒に糸にを張り、その糸に墨
液を含ませたものを墨付けの時に使う。綺麗に墨が付けられ
る。等間隔の括りならこれを使うと大変便利なものになる。
 
 

上も下も同じもの大きさが違う。これは緯絣の染まりあがった糸
を巻き取る道具。かなり繊細な絵絣などの巻き取りに使われる
のだろう。奄美地方絣模様の緯糸をとく道具かな? 簡単な絣
にはかえって扱いがむつかしい物だ。
 


 
 
 下の写真は摺り込みの絣模様を作るときに用いる物。 本来は絣は括って作るもの
 なのだが、摺り込みという技法は染料をこのようなヘラで糸に直接色を付けてゆく方
 法。 確か伊勢崎の機道具屋さんの古沢さんに、昔昔に最初連れて行ってもらった
 気がするのだが。 境野三次さんという織屋さんだった。 この人に摺り込みの話を
 伺った。 麦畑の脇の気持ちの良い仕事場だった。
 「経糸は朝、日の出前に糸を張り、朝の湿気にあて、日が出て糸が乾燥してから、
 仕事をする」「摺り込みの染料は、10の色の濃度がほしいときには、1の濃度を10
 回乗せる方がよい」、と一言を持っておられて、最初はなんだかむつかしそうなお爺
 さんだった。 しかしそれは言葉だけではなく、出来上がった作品にそのことがこと
 ごとく反映していた。 只者ではなかった。 その方の息子さんには、松本まで来て
 摺り込みを教えていただいた事があったと記憶している。 すでに何十年も前のこと
 になる。 いま境野家では織物をしているのだろうか。 この境野三次さんという方
 は若い頃にブルーノ・タウトの仕事をなされたことがあったようだ。
 
 
 
摺り込みようヘラ、摺り込む部分の
太さ大きさによりヘラを作ってゆく。

 
 
これはまだ糸でくくっていた時代に、染める糸を、それ用
の紙で包んでその上を糸でくくった。染め上がり括った
糸を解いて包んだ紙。残っていたので載せてみた。

  
 実際に過程を、画像でこまかく表現すれば良かったのだけれど、少し絣の仕事から遠のいてしまったので直ぐには再現するヅク(信州弁)がなかったので、このような道具がある、ということでご容赦願おう。 言葉だけでは難しいかな…。
 
 
 
 
  
 〔おりもの修行中/ランラン日記〕
大学で学んでいたとき、生糸を買って本を見ながら精練した。
織りあがったのは表面にブツブツと毛玉のついた布だったけど
そのときは失敗していると思いもしないくらい分かっていなかっ
た。あれは練りすぎていたんだなと最近仕事中に気づいて納得
した。ブツブツの原因がはっきりしたことより、方法を間違えた失
敗作だったことがわかってよかったなとおもった。
 
 

 
 
 
 
 


2013/05/22

「天蚕の製糸とは」


……有明地方に於いて始めて天蚕製糸の方法を知りえたのは嘉永元年(1848年)のことであって、当時遼七なる仏具商人に依頼して、同人の紹介で尾州犬山の西在、山那より工女四人を雇入れ、前後4年間に亘つて天蚕の製糸をなさしむると共に其の技を有明地方の婦女子に伝授せしめたのにはじまる。
 当時に於ける製糸の方法は所謂手繰(てびき)法と称せられるゝもので何等の機械的装置を用ひず、唯単に二三本指にて巧みに繰出し小枠に巻き取るに過ぎない方法である。従って繰糸の量も少なく、糸の品質も甚だ劣等であったのである。
 然るに其の後家繭製糸の方法に倣って或いは座繰方を採用し或いは足踏法によるの時代を経て漸く今日の如きケンネル式再繰法によるに至ったのである。……
               と昭和9年発行の「最新天蚕及柞蚕論」にはある。
 
 天蚕の繭から糸を繰るところを、写真を見ながら進んでみよう。
  


これが糸を繰る座繰り方式の道具で、現在は小型モーター
が動力だ。正面で繭を繰り背面で糸が枠に巻かれてゆく。


 
 
繭を煮る火力は昔ながらの炭である。

台の中央部に火床がある。

これは糸を繰るまえに、前処理として繭を煮ているところである。この作業にも煮
沸温度と時間の設定がある。天蚕の家(繭)は堅牢だ。野外が棲家なので造りが
頑丈。天蚕の繭は解除が容易でないので、1回に糸を繰る繭を前もって煮る。
そして、これは上の写真で繭を煮たものを座繰り台に移して、熱を加え温度が落ち
ないように保ちながら繭の外皮を剥いで、繭の糸口を出しておくための作業になる。
外皮を剥ぐ作業、これは大事な作業なのだ。

左側が外皮を剥がし一個ずつ糸口を出した繭、右側が繭の外皮部分。

こうして下仕事を済ませてから糸を繰る。糸の使い勝手で繭8粒か
ら13粒ほどで一本の糸にしてゆく。ケンネル撚りがかかっている。



「ふしこき」というものに通して糸の節が引っかかると糸が止まる。その節をとってやりな
がら繰る。ふしこきは糸の太さによって穴の大きさが違う。綺麗な糸をとるための道具。
鍋の上の、白く丸いものが「ふしこき」。きまった本数
を維持するため、鍋の中の糸口を常に補充してゆく。
 
作業場が人に暑くても、糸は風が当たると乾燥て切れやすくなる。
 
繭から出た糸を背中の側で枠に巻いてゆく。

 見てきたように、糸を繰ってゆく。 繭一粒から約0.2グラムの糸がとれる。ここで
出来た糸を、また使い道により何本にも合わせて撚りをかけて 一本の糸に作って
ゆくのである。 家蚕は人 間が扱いやすいように品種改良を重ねに重ねて繭を作
り糸が取れやすいように改良されてきた。 しかし、天蚕のような野蚕種 は人手は
かけてはいるが、家繭のようなことはない。 天蚕の繭たちは糸を取られるために
繭になったのではないのだ。 家蚕の繭を糸にしたことのある人にはの天蚕の糸引
きは好まれない。 なぜかといえば家蚕と比べると大変手がかかるからなのだろう。 
この仕事も道具に支えられている。 天蚕が自然界で大発生した時からは、既に
半世紀以上はすぎているのだろうか。




〔おりもの修行中/ランラン日記〕
のぞいた虫めがねのうちにひろがる織られた布、手間のかけられた奥深さにび
っくりした。 それが、今まで見えていなかったことにも驚いた。 織物という経糸
と緯糸の交差のなかに繊細な工夫をこらせるようになりたい。 繊細さを感じとれ
るようになりたいな。







 

2013/05/13

「染色の材」

 今回は染色です。ここでは糸を染めます。染織の仕事で自分の仕事の作法では、あんがい色から入ることが多いのです。もちろん素材からとか、意匠からとか、いろいろ入り方は多様ですが、私は色から入ることが好きです。染めに使われる染料ですが自然の染料、化学の染料等ありますが、これは良し悪しではなく、その人の好みでしょう。もちろん顔料を使うこともあります。ここでは自然素材の染料が主流です。色素材論は別に譲るとして、ここの仕事場のお話をします。
 

 三原色のYellow、Cyan、Magenta がベースです。 次の三種の自然素材は、そのままの色目ではじつに三原色の色によく似ていると思うのだ。
 先ず、Yellow 。 黄色はカリヤス(刈安)を使う。カリヤスはこの地方(長野県北安)では小茅と呼ばれて、かつては萱屋根に使われる高級材料であった。小茅しかない処では、別に高級でもなでもなかったのであろうが、大茅(ヨシ・ススキ類)とは区別されて用いられた。茅場は管理されて6尺もある立派な小茅が育っていた。小茅は珪酸の含有量が高いとされているので腐りにくい。昔は茅灰といって焼き物の釉薬にも使われていた。その小茅の払い落とした葉の部分を染色には使い、葉を落とした芯部分を屋根修理の刺し茅として用いた。講釈が長くなってしまったが・・・。


鎌で払われたカリヤスの葉

刈りとられ干されている小茅(カリヤス) よく二百十日のまだ青みのあるころ
に収穫しておくと良いといわれるが、経験ではそんなことはないといえる。
 
黄色に染まった絹糸(少し赤が入った色糸もある)


 つぎは Magenta 。赤はおもに蘇芳を使う。蘇芳はそのままの色だと青みがある。まさに Magenta だ。 これも講釈になるが、蘇芳の原木はかつて東京木場の職人は水上の材木を移動させるのに蘇芳の原木を棹代わりに持ちいていたらしい。硬くて水に強く持ちやすい太さ、後は長さだけれども、それがあれば確かに立派な道具だ。木場の人に確認はしてはないが、そのようないい伝えがあったのだから、そうだったのかもしれない。
 
蘇芳の原木と売られているチップ状の蘇芳

蘇芳で染まった糸(黄色が入っている)

 

 最後は Cyan である。これは藍だ。管理には手はかかるけれども、それさえ完璧ならば、いつでも綺麗な色が染まり、染めにはとても楽な染料だ。


建っている藍

藍で染まった絹糸




 自然素材の染料といっても、そのものだけの染材で染め上げてゆくこともあるが、やはり自分の色を好みに創りあげてゆくものである。自然染料は制約の多いものであるが、そのなかで色を混ぜながら色を作ってゆく、あんがいに楽しみでもある。

雑多な染め作業場

これは桜の小枝を煮出した染液で染めた色

いろいろに染めわけた経糸







 
自然素材の色を混ぜ合わせて出来る色

 
 
 
 
 

〔おりもの修行中/ランラン日記〕
学ぶことは真似ることとよくいうけれど、ただまねするだけのことが難しい。
大学生のとき、先生に「あら、不器用ね」なんてじーっと見られてカチン
コチンにかたまってしまった。たったいま見せてもらったのに同じように体
がうごかない。情けなくなったことをおもいだした。








2013/05/06

「薪ストーブ」

 信州で、建物の周りは窓ガラス1枚のつくりで床はセメンのだだっ広い、下仕事をする仕事場空間はとても寒い。そこで力を発揮してくれるのが、毎日ではないが仕事をするときには、このストーブがなくてはならないのだ。
 円筒で直径が43cm、高さ77cmだ。素材は承知していないが、何か配管に使われる素材だそうだ。先ず錆びない、熱で変形しない強い優れもの。近くの製材所のおじさんが数十年前に作ったストーブを見て、同じものを作ってもらった。
 ストーブの中の鉄で出来たサナが、既に熱で溶けてなくなってしまっている。暖を取ったり、染色に使う灰をとったり、少ない量の糸なら染めも出来る。もちろんヤカンの湯も沸く。

 一冬使ったストーブの後片づけに、五月の連休の一日をあてた。
今年の冬は寒かったこともあって、薪の量も多かったのだろう。ただし例年ならナラ、クヌギ、アカシヤなどの木を燃料にする。この良質の薪を燃やしていると一冬燃料として使っても、ストーブが要らなくなるまで、煙突の掃除はしなくてもすむのだ。
 
 今年は構造材の廃材やら古い針葉樹等を貰ったので、それを燃料に使った。先ず、よく燃えていても出る灰の量が多い。この灰は質的にはよくない(アルカリ分が低い、これは燃料にする材質の違いもある)。
 冬の後半はたぶん煙突が詰まって、空気の動きがよくないので燃えが悪いだろうが、面倒なのでそのまま使う。良質の薪では煙突の持ちも良いのに、今年の掃除では煙突のすすがバケツ(18L)一杯山盛りに出た。いつもはバケツの三分の一くらいだ。

 煙突の備え付け方式からゆけば、高さが足りないようだが・・・。高さ計3.4m、横3.4m、直径12cmの煙突なのだが、良い薪の時には一冬気にならずに持つのに、廃材等ではとてもそうはゆかない。
 なんでも燃えさえすれば暖を取れるというのは間違いだ。快適に使うには、それなりの知識と心配りが必要だ。長いストーブ歴ではあるが、こんなことは初めてだった。悪条件をものともせず、寒い冬がんばったストーブに感謝。
 しかし、すっかり掃除をして、すでにストーブは冬の準備が完了したのだ。 連休の一日。

これがそのストーブ ごくろうさま

左から、灰を入れるかん 火かき棒 じゅうの 火バサミとミ

皐月の空に掃除の終った煙突

バケツ一杯でたこの冬の煤



〔おりもの修行中/ランラン日記〕
このの薪ストーブの惹かれるのはシンプルなところで、何にもたよらずどっしりと存在しているのがいい。ふつうに気持ちよく使えるかは、あつかう側が状態の変化に対応できるかどうかにかかる。流行りの薪ストーブのある暮らしも雰囲気に偏った形式だけにならないよう、むかしからの知恵やコツもセットで残るといいとおもう。
 
 
 
 
 

2013/05/01

「そうこう 綜 絖」

 そうこう(綜絖)は、織るために用意した経糸を機にかけて、綜絖枠に綜絖をセットしたものに経糸を通して、その糸が上下交互に動かすための部品(道具)をいう。写真を見ていただくと分かりやすい。この綜絖にも、糸綜絖、金綜絖とがあって糸綜絖も現在も使われている。どちらもその仕事模様でつかい分けられている。糸綜絖の糸も化学繊維に変わっている。金綜絖がいつ頃から使われ始めたのかは、知識がないのでわからないが、やはり力織機が主流になるときには存在したのだろうと思うのだが。この金綜絖もワイヤーヘルドの他リングヘルド、フラットヘルド等あるが、手仕事のここではワイヤーヘルドである。
 
 
綜絖枠と綜絖 そうこう枠は織り幅によって異なり必然的に綜絖の本数も変わる
 
綜絖枠に取り付けたそうこう 経糸の本数と同じだけのそうこうを使用する
  
綜絖部分 小さな穴に順番に緯糸を通す

経糸が通された綜絖

糸の太さ種類にあわせて綜絖を決める

綜絖枠の数も織られるものによって多様
 
平織りの金綜絖にモジるための糸綜絖を取り付けたところ 紗とか絽を織るため
 
 
 
 
 
〔おりもの修行中/ランラン日記〕
 
暮らしのかたちが変わり身近でなくなった昔の道具や専門的な特殊な道具などの
名前や使い方を知らず はずかしいおもいをすることがある。使いやすいように工夫
をかさね、きわめられた道具本来の正しい使い方のほかにも、うまくアレンジされ道
具がいきいきしていれば別のひろがりも見つけられる気がする。そうやってかたち
を変えても自分の近くでかかわりつづけるなかで、つながっていくことがあるだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 


2013/04/17

「わく 篗」


過日、地元紙に「山の日」を祝日に国会議員が超党派で唱え、民間山岳団体もかんでいると報道されていた。以前にも引用させていただいた辻まことです。山岳雑誌「岳人」1972年1月号「表紙の言葉」に掲載されていた。

 「混雑騒然たる街区を、自分もまた一個汚染の兇徒と化して夜を昼に変えて、やれクリスマスだ、やれ忘年会だのと続けたあとで、一夜を限りによそ行の顔つきで社殿にぬかずき、ポンポンと神妙な手を叩き、いまさら言うこともない相手にオメデトウなどと叫びかけ、さて一週間分もあろうかという新聞をひらき酒盃を片手に、また冬山の遭難か、世間の迷惑をかえりみぬ愚かな若者だの親不孝だのと、俗物と俗流ジャーナリズムなんてものは毎年することも薄手で、どっちが一体自覚が足りないのか判ったもんじゃない。
 そんな尻馬に乗って地元の山は手前の製造した美術品かなんかのつもりになって、条例をつくったり、登山者に階級をつけたりするヴェテランどもの横柄さは、未熟な登山者よりもよほど小癪だ。
  もうかるとおもってるうちは車も人もどんどん呼び込み、宣伝これつとめ、リフトだゴンドラだと先頭になって自然をいためつけといて、映画館なら満員御礼の札をだすときに、戦前のオマワリみたいな顔つきになって、山をけがすな、敬虔になれとは一体どの口からでるのだろうといいたいネ。」
 (この「岳人」の連載はのちに『山の画文』白日社から出版された。そののち『山からの言葉』として平凡社からも出版されている。)

  これは時代はいまから40年も前の言であるが、昨今暮れの騒ぎが落ち着いたくらいで、なんら変わることがない。「海の日」さえ趣旨はよくわかっていない自分だから、「山の日」といわれてもピンとこないのだ。そんなことは、人にいわれるまでのことではないのでは。
 話がすこし道具のわくを超えてしまったようだ。
道具は人間の負と効率の部分を補うという明確な目的をもって存在している。なかにはその許容範囲を超えてしまったものもあるだろうが・・・。さてもとに戻って今回の道具はワクなのだ。
 
 「わく 篗」とは、ある状態になっている糸を、ワクというものに巻きつけて一つの規格体にして、扱いやすくし次の仕事の出発点となる作業に登場する道具です。
 
使い勝手でワクにもいろいろある 動力で巻いたり、手動で巻いたり
この他にもタタミワク、ヌキワクとか糸取りに関するワク名もある
 
小さいものは高さ12cm、大きいのは21cm 写真に
はないがもっと大きなものは高さ28cmのワクもある
 

糸が巻かれたワク




〔おりもの修行中/ランラン日記〕
こうしなくちゃいけないとか、ああするべきとかに縛られて身体が動
かなくなるときがある。わくわくすることに心を躍らせて方法をあみ出
しながら突き進むくらいに、のびやかに身体を使えるようになりたい。